03.君の居ない世界

雷門へ転校してから、俺の隣にはいつもアイツが居た。
朝、たまにまだ眠そうな顔をしながらやって来る事も有って「しっかりしろ」と声を掛けたのを今でもすぐに思い出せる。
此処最近も起きて準備を済ます頃にはアイツも起きて来て、毎朝おはようと言い合った時にようやく「今日も始まったのだな」と思える程に存在は強く、俺の日々には必ずと言って良い程にアイツが、笑顔が、すぐ傍にいつも在った。
それはこれからも続いていくのだと……信じて、いたんだ。
そして、願っていた……のに。

「皆、落ち着いて聞いて頂戴。……彼方さんが、姿を消したわ」

彼方が。
此処から、消えた。



「……ど、どういう事ですか!? 監督!!」
「言葉通りの意味よ。今朝気付いた時にはもう、彼女は居なくなっていたの。荷物も無くなっているわ」
「そんな……っ!」

全員が目を覚ます前に車内へとやって来た監督が告げた言葉は、俺達を覚醒させるには十分過ぎる程の威力を持っていた。
俺のように既に起きていた者にも、円堂のように微睡みの中に居た者にも。

「木野さん達に聞いてみたけれど、昨夜のいつ出て行ったのかは分からないそうよ」
「誰にも、気付かれずに?」
「……えぇ」

まさか、そんな、あの彼方が……? そう車内全体に動揺が走る。
普段なら監督も女子と同じ場所で休んでいるのだが、昨日は用事が有ったらしく此処で寝泊りはしていなかった為に彼方の姿は見ていないという。
監督の後からやって来た女子の表情は暗く、木野や春奈は涙を浮かべていた。

「……本当、なのか」
「私達が目を覚ました頃にはもう、彼女は居なかったわ。物音にも気付かないぐらい昨晩は静かで……もう少し、戻って来るのを待っていれば良かった……」

雷門が言うならば嘘は無いのだろう……どうか嘘であってほしいと思っていても、暗い表情で言った彼女を見たら真実なのだと認めるしかなかった。
書き置き等は無かったのかという問いにも木野が小さく首を横に振ったので、手掛かりは何も無いのだと分かる。

「……あたし、侑紀が居なくなるなんて思わなかった。だって、いつも笑ってたし……そりゃ元気が無い時も有ったかもしれないけど、こんな事になっちゃうぐらい悩んでたなんて知らなかった。あたしが参加した時も明るく迎えてくれて、仲良くしてくれて、一緒に……居たのに……」
「私も、侑紀ちゃんが苦しんでいたの、気付けなくて……こんなの友達失格よね……」
「塔子さん……木野先輩……」

塔子は彼方と同じ女子選手だからと気が合っていたし、よく話している所も笑い合っている所も此処に居る誰もが知っている。
その塔子も、以前から仲の良い木野も、彼方を慕っていた春奈も、彼方が抱えていたモノに気付かなかった。
いや、気付けなかったんだ、彼女が異変を悟られないように振る舞っていたから。
……なら、いつも隣に居た俺はどうなんだ?

「……昨日の晩、彼方と話した」
「えっ、そうなのか鬼道!?」
「あぁ。もう遅いから休んだらどうだと声を掛けたんだが……」

其処でハッと気付く。
確かに彼方の様子はおかしかった、誰が見ても分かるくらいに気分は沈んでいて覇気など微塵も感じない程に。
声を掛けた、落ち込んでいるなら励ましてやりたいと言葉を選んで告げた……つもりだった。
だが、もしかしたらそれは。

「……アイツには、重荷でしかなかったんじゃないか……?」
「……鬼道?」

俺の意見だけ押し付けて、彼方がどんな風に感じていたか真意は何だったのかなど考えもしなかった。
有難うと、おやすみという言葉に安心して、もう大丈夫だと勝手に思い込んでまた一人にさせて。
それが、いけなかったんじゃないの、か?


俺が アイツを 追い詰めた ?


「……ッ!」

立ち上がってキャラバンから降りようと駆け出す、だがその手前で「待ちなさい」と監督から制される。

「何処へ行くの?」
「彼方を探しに行きます! 夜中に出て行ったとしても一人ではそう遠くへは行っていない筈です」
「許可出来ません」
「なっ……何故ですか!?」
「もうすぐ出発します。此処で時間を割いてる余裕が無いくらい分かっているでしょう?」
「じゃあアイツを見捨てろって言うんですか!?」

自分でも珍しいぐらい感情が昂ぶっていると分かる、けれどじっとしていられないんだ。
追い詰めてしまったのなら俺に責任が有る。
謝罪したいというのは自己満足でしかないが、このまま放っておいて良い訳が無い。
今すぐ彼方の元へ行きたい。

「そうは言っていないわ。けれど貴方達にはやらなければならない使命が有る事を忘れないで、エイリア学園との戦いは終わっていないのよ」
「分かってます! だがアイツは、彼方は……」
「お願いします監督、彼方を探しに行かせて下さい!」
「……円堂」

円堂も立ち上がり監督の前まで来て訴えた。
他のメンバーも、同じ行動はしなくても目で意思を訴えている。
だが腕を組み目を伏せ、また開いた監督が告げるのは先程と変わらず「許可出来ません」という言葉だった。

「彼方も俺達の大事な仲間なんです! 突然仲間が居なくなったっていうのに、こんな気持ちのままじゃ戦えません!」
「座りなさい円堂くん。鬼道くんも、監督命令よ」
「監督!!」
「何と言われても許可は出しません」
「くっ……!」

円堂が握り拳を震わせ、悔しそうに歯を食い縛って自分の座席へと戻って行った。
俺も反発したい気持ちでいっぱいだったが、監督命令と言われてしまっては従うしかないので渋々戻る。

「あ、あの~……先輩のお家には連絡したんスか……?」
「お宅の娘さんが行方不明になりました、とでも言えと?」
「そっ、そうじゃないッスけど……」
「……初めに落ち着いて聞いてと言った筈よ。響木さんと鬼瓦刑事にも連絡は入れてあります、彼女の捜索はあの人達に任せましょう。……私にも身柄を預かっている責任が有るの、このまま見捨てたりはしません」

10分後に出発するから準備して、そう監督は言って車外へと出て行った。
残された俺達は心配や不安、納得が出来無い気持ちに満たされていた……今の俺達には簡単に気持ちの切り替えなど出来無やしない。
けれど、無理矢理にでも吐き出したいその思いを飲み込んで前に進まなくてはならない。
捜し出してくれるというのなら、それを信じて戦いに専念しなければ。
例え彼方が居なくとも。

「……彼方……」

お前がもたらした衝撃はメンバー全員がショックを受ける程に強かった。
だが、それはお前が俺達にとって……大事な存在だったのだという事を。
分かって、いるか。



世界から君が欠けた


再び稼働を始めた車に揺られながら窓の外を眺める。
いつもなら会話の絶えない車内だったが、今は誰一人口を開こうとはしなかった。
隣に目を向ければ、俺と塔子の間に空いてしまったスペースには彼方が居た筈なのに。

(おやすみ、は……おはように繋がる言葉では、なかったのか? 彼方……)

毎朝のように聞いていた言葉と声は聞けなかった。
もう、聞けないのか?もうお前と話す事は、叶わないのか?

鬼道さん、おはよう!

サッカー部に居る二年で、唯一俺をさん付けで呼んでいたアイツは……特別な存在だと思っていた彼方は、今此処には居ない。
お前と言葉を交わさない朝が、こんなにも輝きを失って見えるなんて。
思いもしなかった、よ。